2009年07月03日

民主党、社民党、国民新党、野党3党による労働者派遣法改正案提出について


今回の登録型派遣の基本的禁止事項を含む今回の改正案は、社会の実情を無視した机上の空論、或いは、日本国内並びに世界の派遣労働の実態を全く勉強していないか、または今のみの政局を考えての一時的な日本国内メディア向けの人気取り行動なのか、どう見てもこれから与党を目指すという政党には見識の極めて低いものとしか言いようがない。
私自身、1984年に同業界に就職したが、当時はまだ派遣事業そのものが社会的認知をされていない状態であった。しかしながら、その事業の社会的有用性は十分にあったと確信している。
特に当時の人材派遣事業では、女性の社会進出を妨げている社会的常識や、一般社会からの無理解、そして不十分な各種制度に対して、働き方の多様性を創造し、就労の機会を大幅に増やしてきた。
例えば女性の場合、当時では20才代での結婚が圧倒的に多く、会社でも「寿退社」を進める風潮が普通であった。出産後や育児から解放された20才代後半から30才代の女性にとって転職・再就職等の社会復帰では、本人の持っていた経験やスキルを活かせる機会が少なく、スーパーのレジうちや、事務職でも単純作業などで我慢するしかなかった。企業側もそのような境遇ある女性を正社員として採用することもなく、或いは出来ず、その一方で女性達も正社員になるには時間的な制約は多く、むしろ、望まないケースが圧倒的であった。
人材派遣業はその様な社会的背景をもとに、企業と働く側の要望やその時代に拡大しつつあった就労形態の多様性、そして就労者側の生活ニーズに適合していたために大きな市場の成長へと発展していった。1980年代後半には誠に大きな制約があったにせよ労働者派遣法が成立した。
なお、現在の派遣会社では上場企業も含めて、女性の経営者・役員が大変に多く登用されている数少ない産業へと成長もしている。日本では女性の社会進出が世界の平均値よりも低く、先進国では最低である。また、政治における女性の進出も最低レベルであるとの新聞記事もあった。

私は二度の欧州駐在に加え、米国駐在(ニューヨーク)を経験し、現在では独自に全米20カ所の拠点を持つ人材会社を経営している。この両先進国地域の知識と経験から下記のことが言える。
米国の雇用法・労働法では就業上での様々な「雇用差別禁止」に関する厳しい法規が存在するが、適用対象業務や、人材紹介と人材派遣に関してのそれそれに対しての事業運営や職業選択を限定するような厳しい法的規制は見あたらない。アメリカでは「(雇用)機会の平等」が大原則である。このために、待遇や福利厚生の点では格差があることも認めるが、むしろ、企業と就労者共に長期雇用関係以外にもお互いに相互の利益に適合した雇用形態があることを進めているし、現在でも新しい雇用形態が、インターネットの発展と共に日々生まれている。専門就労者の派遣(弁護士、医者、会計士、システムエンジニアなど)では派遣制度が大いに活用されている。現在では正社員以上のベネフィットや、雇用訴訟保険EPLI(=Employment Practice Liability Insurance)や企業や専門家を守る損害保険PLI(=Professional Liability Insurance)なども完備し、利用する企業と就労者の相互が安心してサービスを利用できるようになっている。
これに対してヨーロッパでは「(雇用)保障の平等」がむしろ中心であり、「同一労働、同一賃金」制度などはオランでは多く浸透している。このため、今回の様な経済危機的状態でもオランダではこの人材派遣システムが有効に機能し、ワークシェリングや、労働時間短縮でも最低限の雇用保障で平等性を保っている。
これに対して、日本の労働法は明治時代に導入したプロイセン(現在のドイツ)のものを基本モデルとしている。これに対して第二次世界大戦以後のアメリカから導入された人材派遣システムは米国労働法・雇用法のあり方を基本にしている。この2種類の相容れない法体系の中にあって、日本の派遣事業はどのような将来像を以て進めていきたいのかが全く不明瞭である。欧米いずれの地域においても「登録型派遣」は世界の常識である。これはそれまでの固定的な雇用関係をより、多様化した形態に発展させていった時代の流れである。

今回の野党三党が、提案予定の労働者派遣方改正案で登録型派遣の禁止項目は、この世界の潮流を全く無視し、派遣会社のみならず、そこで就労する何十万人もの社員と派遣スタッフの生活を脅かし、失業者数を急増させ、その結果として社会保険給付額を増大させ税金をますます使う事になるのは明白である。
つまり、どのグループに属している者・団体もその利益を得ることができない。

現在のように、低レベルな政局をにらんだ単なる人気取りのための行動であるならば、厳しく自らを戒めて、真にそれぞれの利用者の声に耳を傾けることである。

言うまでもないが一部の違法な、そして非人道的なビジネスを繰り返す、人材会社・組織は厚生労働省が厳しい罰則規定を策定し、取り締まるべきは当然である。それが派遣労働者の人間としての権利を守ることになる。しかし、これは個別単位に取り締まっていくべき事であり、法改正をするようなどと言う暴言は決してあってはならない。


平和ボケの中で無意味な(むしろ有害)な法案提出は今の「日本らしい」現象であるかも知れない。我々は「世界のガラパゴス国家」と言われ始めている実態を認識すべきである。


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2009年06月24日

バカな国のバカな政治家の話

2009年6月23日、

下記のような新聞情報が昔の同僚から配信された。

3野党、派遣法改正案提出に合意 登録型派遣を原則禁止
2009年6月23日19時16分, asahi.com
 労働者派遣法をめぐり、民主、社民、国民新党は23日、仕事があるときだけ雇用契約を結ぶ不安定 な「登録型」派遣や、製造業への派遣を原則として禁止する改正案を今国会に共同で提出することで合意した。共産党にも同調するよう呼びかける。ただ、日雇い派遣の原則禁止を柱とする政府案との隔たりは大きく、会期末が迫る中で与野党間での修正合意は困難な情勢だ。合意案では、登録型派遣は通訳など専門職種に限って認める。大量の解雇や雇い止めが問題になった製造業への派遣は、免許や資格が必要な専門職種を除いて禁止する。除外の対象は「合理的な範囲に限定する」としている。このほか、2カ月以下の雇用契約を結ぶ労働者の派遣禁止▽派遣先の企業が違法行為をした場合、派遣労働者を雇用させる「みなし雇用」の創設▽正社員と非正社員の均等待遇規定の創設――なども盛り 込んだ。会見した民主党の菅直人代表代行は「できるだけ早く法案を提出し、会期が続くギリギリまでしっ かり議論したい」と話した。派遣法の改正をめぐっては、政府は昨年秋に改正案を提出したが、実質的な審議に入っていない。 政府・与党は大幅な規制の強化には慎重な姿勢を示している。

お坊ちゃま政治家もほどほどにしてもらいたい。
今でさえ硬直化しきっている日本の労働行政を、これ以上国際標準から乖離させてしまえば、労働コストがますます高くなり、さらには硬直化し、海外からの投資や、もちろん現在日本国内にある企業でさえ、外国へ本社を移すことにもなるであろう。
現に、アジア統括本部を日本(東京)ではなく、シンガポールや、香港にうつしている企業が多いのにも全く無関心らしい。

また、このままでは人材ビジネス業界が潰れる危機に瀕するであろうにも関わらず、バカな政治家と官庁にいつまでも付き合っている業界団体にも呆れてしまう。
自らの力で、言動で、自分を守らねばいったい誰が守ってくれるというのか?
後進国も含めて、世界がグローバル化(ヨーロッパ、イギリス、アメリカの思想や政治、流行などがその流れの本流になっており、決して日本が本流でもなく日本の回りを太陽が回っているわけでは決してない!!!)と多様化して行くにも関わらず、あいも変わらず日本では自己都合のみ、或いは政治家の人気取り、或いは個人の名誉欲のみに動いている者たちになぜ振り回されているのか?

ハッキリ言って、日本はそれなりに大きいマーケットではあると思うが、既に成長が止まっている日本国内市場に外資系の人材会社は興味を持たないであろうし、これからますます成長する「大アジアマーケット」に完全シフトをしてしまう日も近い。
ジャパンパッシングはハッキリ言って自ら招いている。

別にいつまでもパッシングがあることを嘆くような受け身ではなく、みすずから「アメリカパッシング」をおこし、新しい市場を開拓してもらいたいモノだ。そのためにも世界常識が通じる国内市場規則にせねばそれに対応できるビジネスセンスを持つ人材も育たない。

ハッキリ言って世界の動向に対して政治家、官僚がここまで勉強不足であると言うこと、そのものが 日本の大恥である。

実にバカバカしいかぎりだ。


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2009年04月21日

企業訪問と電話とメール

4月21日、火曜日 

NYにて

この10年間で仕事の環境は大きく変わりました。
本来の仕事を大いに助ける支援ツールや、通信環境も大いに発達しました。
最近、多々多見受けられるようになったことがあります。
複数名にメールするのではないにもかかわらず、同じ事務所内でメールでやり取りをする(何か意図的行為であれば別ですが)。
顧客とのスケジュールや会話を全てメールに頼る。
逆に、A3企業(=取引可能性はあるが今までオーダーはなかった企業)で離れたところまで出かけていく。

様々なコンタクト仕方はあろうかと思いますが、このビジネス25年間やってきた僕としては、疑問が残る一つの点があります。

ビジネス = 数字(売上げ・結果が出ると考えられる商業活動も含む) ÷ 時間

です。
これは、営業でも、リクルーティングでも、人事、会計、システム、総務などあらゆる活動においても同じです。

メールの交信で何日も費やすようであれば、それを早急に終わらせたいのであれば少なくともその日のうちに電話で完了させ次に作業に進むことです。
また、電話(肉声)はより強いコミュニケーションです。
その中で新たな取引や、困った事などの話しから新しいポジションやビジネスが生まれることもあるでしょう。

要するに、
「成果と時間のバランスをよく考え、コミュニケーション方法をその時の状況に合わせて使い分けること」
です。

かといって、アメリカでの雇用のスタイルの根本である ExemptとNon-Exempt を自分の都合の良い方のみで考えているケースも多々見受けられます。
上記の式は「時間内のみに仕事をすると言う意味でもありません。
時間外にいくら貪欲に業務をこなしても構いません。
また、自分自身に問いただし、その代休を取るのであればそれも構いません。
「貪欲」であることを、出る杭は打たれる」の如く、忌み嫌う人もあるようですが、これはある意味で「日本語の欠落点」と思います。この「自らを守るために戦うことを必要とされるアメリカ社会」において「貪欲」はむしろその人の美徳(=Eager, Strong Wish)と考えます。

「和魂洋才」とはポジティブに両文化を掛け合わせた事を言います。
「洋魂和才」でもう一方からのアプローチ・チャレンジをしている人もいます。
これからはますます両者の融合がなされてくることでしょう。


また、自分自身を完成された人間と考えず、皆さんが慕う自分自身の理想像や、自己が信じる神様・仏様との会話の中で追求してやまない「あるべき姿」を、自分自身以外のあらゆる人々からの無償でアドバイスをくれる「教師」として利用し、自分自身をさらに高めて下さい。

時間は誰にでも、ライバルにも平等です。
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2009年04月09日

2つのゴルフ場

4月8日、

この間の日本出張中にゴルフをした。

都心から電車と車を乗り継いで1時間20分。
○○国際カントリークラブ。

川べりのコースで9ホールが確か5つあった。
アメリカで考えるようなクラブハウスへの道はなく、どちらかというと街の健康ランドに行くような感じで、しかも建物の前の駐車場スペースは合計でも20台も止められない。
満杯なので「駐車場はあるの?」と聞けばアルバイト作業員のようなおじいさんが無言で右手を挙げて指さす。ああっ、身障者の方かと思えばそうではなかった。ムッ。

川の土手を越えて行くと追加駐車場があった。クラブハウスへは耕耘機のようなカートで護送される。フロントは町内の大浴場受付のような感じではあるが、受付の女性は優しかった。ヨシ。

コースへ出ると監視小屋のような管理事務所があり、指示を受ける。一瞬北朝鮮の国境警備小屋かと思った。さてプレー。

施設の社員ののみ作業服かと思えば、プレーヤーも作業服のような、ジャージーのような。まあ、襟のついたシャツは要らないという感じ。全ホールがフラットで、しかもコースの回りはと言えば、すぐに田んぼと畑。6月に来たならば、自然の臭いに加えて、カエルがさぞかし賑やかだろう。ゴルフクラブよりもクワの法が似合うぜ。ナンだかな〜。

さすが川べりコース。
関東平野のカラっ風をもろに受けて、ここはイギリスのリンクス。大勝負だ! 受けて立とうじゃないか。9ホールを終えて一服し、次の9ホールはナンと、渡しの船で川向こうへ。ゴルフバック抱えてはるばる来たなあ〜。俺何しているんだろう、などといっている場合ではない。強風に負けてドライバーは曲がるは、OBは連発するはスコアーは完璧に初心者並み。自分にバカヤロー!

しかし、さすがに終わってからの風呂は日本のゴルフ場の良いところ。手足を伸ばして無言で広い湯船に沈む。ァ〜〜〜ッ。

運転手はこのコースを予約してくれた本当に親切で仕事の出来る前会社の同僚。お酒が一滴も飲めない日本は可愛そう。
ありがとう。

でもここの○○国際カントリークラブは、絶対に音読みの「こくさい」ではなく、訓読みの「くにぎわ」カントリークラブだと密かに、しかし、絶対にそう思う。

昨年はこのおもしろい元同僚に、日本でしかないゴルフコースに連れて行ってもらった。
群馬県と長野県のみでトーナメントがあるという。

マレッジゴルフ!

ゲートボールじゃないか!
詳しく言えば、ゲートボールのパター(? ナンというかは知らない)で、特設の18ホールを造って各ホールともゴルフのルールでパーを狙う。
バカバカしい!

と思いきや、パーが取れないではないか。
ピンの回りにグリーンがあるなどとは考えてはいけない。整備された芝生などは甘い。ここでは砂利があろうと、わだちがあろうと、あるがままの自然と戦うのだ!
ゲームを終了したらしいおばあちゃんが「今日79で負けちゃったわね。」といったモンだから、つい、自分の歳のことかなっと思ったらスコアーのようだ。
ヱ〜〜!
完璧に負けてるジャン!!!

あなどってはならない。川べりのゲートボール、否、マレッジゴルフと ○○国際(くにぎわ)カントリークラブ。

いざ、再挑戦?(でもやっぱり、今回だけで十分です。まいりました。)

















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2009年04月06日

北朝鮮について

4月6日、

「飛翔体」と呼ばれるロケットか、ミサイル(どちらでもよい)が北朝鮮から打ち上げられた。領空侵犯や地域の安全を脅かす行為と日本や韓国では猛烈に非難をしている。
北朝鮮の置かれている地球上の一で言うならば、人口が密集しない、ロシアに向けて撃つことが最もよろしいと思う。東の日本や南の韓国、それにただでさえ人口の多い中国では被害確率が高まる。
旧ソビエトの支援で北朝鮮が生まれたのであるから、その支援国の一つである現ロシアはその飛行経路を提供する用意はあるはずである。

なぜ、この様な事を書いたか?
日本・韓国・北朝鮮でそれぞれに非難を行っているが、100年も満たない歴史の中でそれぞれが加害者・被害者になり、そしてその後に3国・2国民が被害者になっていると思う。
ナント言っても、まずは植民地政策時代での被害者。次にイデオロギー政策時代の被害者。

ドイツはそれを乗り越えて1888年に東西統合し、現在に至る。これはドイツがヨーロッパに属し、東西両ドイツがそれぞれに隣国である西側諸国との関係のみならず、かつての東側諸国との関係も綿密に構築してきたためにその国際感理解と地理的な利益も考察されて可能となったであろう。

朝鮮半島では、半島南の大韓民国ではアジアでもその有効関係国が多々あるが、北朝鮮では地理的にも共産主義体制にあった、ソビエトと中国を両親とした巨大国家の狭間にある、一方的情報しかない中での人っ子のようにあまえた存在でしかない。おのずと世界の情報が国民全体に広がる状態にはなかったと考える。

小生はかつて東ドイツをよく訪問した。当時の東ドイツの外務省に努める役人を父に持つ友人家庭では、西側のテレビ番組を毎日見ていた(但し、当時のドイツの西ドイツのテレビ番組は東側とほとんど変わりない国営放送のみで、日本・イギリス・フランスなどとは比較しがたいほどに社会主義的であったが)。それでも国民は外部世界の情報を見ることはできた。

北朝鮮ではどうか?
一般家庭で、外国情報が入ってくる地理的環境ではない。ソビエト的洗脳番組か、或いは中国式か。その程度の違いしかないのではないか?そのような中での国民の洗脳状態は想像ができない。

今、特に日本・韓国・北朝鮮で非難合戦を繰り広げている。
元はと言えば、歴史の中の犠牲者同士の非難応酬であるといえないか。





























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着実な変化と内面変化のズレ

4月6日、

社内の経済危機緊急対策、景気予測動向の観察など、世の中の動きに先んじて手を打ってきたために、何とかその効果が少しづつ出てきている感じである。弊社のように、独立系人材会社が第1に頼りにできるのは、メインバンクである。しかし、何といっても世界中で最も被害甚大で、公的資金援助を受けているあの米系メガバンクである。担当者は2009年度第3四半期仁井は持ち直し、と言っていたが、当社はその前に持ち直さなければこちらが存在しない、と言う覚悟で再生活動してるし、そうでなければ、濁流に呑み込まれるであろう。
一方、日本では会計年度が3月と言うところが多いのと、少なからず新卒採用者のスタートもあり、事務系と言えども派遣件数が減少しそうである。売上げが大きかろうが、小さかろうが、この落ち込みはさらなる経費削減対策を講じなければならないであろう。ふと、以前どこかの雑誌か新聞でアンケート質問があったと記憶している。
会社経営者の最も重要な仕事とは?
今は明確に答えられそうだ。
答えは「適格で、利益のある未来予測ができること」であろう。
世間を見てから対応したのでは絶対に遅いし、勝てない。

社内のミクロ面に目を向けると、毎月の実績や、この厳しい環境下での社内各人の中には、時間経過による上向きな変化が現れてくるのを待てず、精神的・心理的苦痛が身体にも出てきている者もあるように見受けられる。地獄の中に光を見つけられる者、地獄の渦に巻き込まれそうな者、それぞれに同条件の中にありながら、実態はバラバラである。現在のアメリカの景気を一言で表現すれば「南中北低」。寒いところの経済は本当に寒い。本人達の努力に対しても市場は手厳しい。

天はこの厳しい中にでも、光を見つけるように、努力せよとおっしゃっているのであろうか。つまりはイノベーション。負けないで発想を豊かにして生きるのだと。
季節は春に向かう頃となり(但し、全米各所では既に春を超えているか、常夏のハワイもあるのだから一概には言えないね)、目の前に見える着実な自然の変化、植物の芽生えなど、また、同時多発テロの時の様に、「眼に見える損害、悲劇」が実態感覚とリンクしない今回の不況という状況では、心理的不安要素は静かに、しかしながら着実に増加している気がする。
松下幸之助氏の本の中にもあるが、「不況は自然災害ではなく人災」とはあるが、目が見え、景色が見えるが故に、鳥のさえずりが聞こえるが故に、春の香りや、うまくなってきたイチゴ、また、日に暖かくなっていく気温を感じるが故に、今回の様な繁栄の時代からの極端な変化には五感がついて行かないで、そのズレに苦痛を真理・身体バランスを崩している人もきっとあることであろう。

今は、心を鬼にして、「数字のみ」に集中し、指針のブレがでないように皆を導いて行くしかない。また、自分を信じる力を強くしていくことが最も有効な手段と確信している。



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2009年02月17日

レバレッジ

2月16日、月曜日

今日は”President's Day”で休業の会社が多いがそうでもない会社もある。
3連休で、出張からの体力回復にちょうど良い。

レバレッジという言葉が今回の金融崩壊の原因の一つと言われているが、実はこれはどうも他の産業でも同じことが起こっているという疑念が湧いてきた。

小生がドイツにいた80年代。
世界の高級車の一つというのは確かにドイツのメルセデスであると思う。
メーカー側が自身を持った製品であるメルセデスベンツはその耐久性・スタイル共に抜群で他の追随を許さない。フルモデルチェンジも5年と大変に長く、買う側もあこがれの一台である。小生も85年に前職でドイツ駐在をしていたので、最も安いクラスのベンツを社有車として選んだのだが、後から日本の役員に「日本ではベンツに乗っているのは社長だけだ。中古車か日本車にしろ」と言われたことを覚えている。

さて、ここで考えさせられるのが、ドイツでは自動車の性能が非常に良いために、長年乗るというのが常識だった。小生の当時はそう考えていた。しかし、アメリカ型の考え方は、新しいモデルの自動車を2〜3年ごとに発表し、買い換え需要を起こす。自動車会社もセールス&マーケティング主体の売り込みをしていた。
確かに、アメリカや日本の車、又は一部の自動車を除いて、数年もすればガタがくる代物であったと記憶している。GM車に至っては、新車で買わず、2年落ちの修理済みの車の方がむしろ良いとさえ言われていた。

しかし、現代では日本車もその性能が大変に向上し、10万km走ったところでエンジンにも問題がないほどにもなり、これは他の自動車メーカーのものも同じレベルになってきている。しかしながら、モデルチェンジや買い換えは3年程度である。今ではあの優秀であったドイツ車でさえ、数年のモデルチェンジで新車を発表する。

製造業者の自信の力作ではなく、ここでも「経済優先」、「市場規模・売上高至上主義」になっている感がある。

このあり方では、買う側は「良い車であっても、自動車販売会社の営業により、買い換えを換気させられている」状態である。まだまだ十分すぎるほど性能が良く、買い換える必要もないにもかかわらず、新しい、より高性能・多機能・便利と思われる製品を買う。否、買わされている。

これは実態のニーズではなく、単に「どうでも良い・浮き草の様な軽い欲求・ファッション」で買い換えているに過ぎない。今日、世界経済が崩壊した状態では多くの一般消費者はこの事実に気づき始めている。

つまり、金融から始まったこの余剰感はその産業のみならず、既にその以前より、「資本主義社会の経済活動サイクルそのもの」にも大きな変化を与えてしっまっているのではないか。先進国並びに経済新興国を中心として、世界中の「飽和状態」「架空経済」の中での経済活動はどうなるのであろうか。

小生の様な論理構成のできないものには理解を超えている。
誰か、教えて頂けまいか?


























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2009年02月11日

Gを感じる日々

2月11日、水曜日

夜中に目が覚めてしまった。
時々こういうこともある。

日本から戻り、早速不景気の中の組織変革を実施中。
今の感じを一言で言えば、

強烈な「G」を全身で受けている状態、

とでも言おうか。

アメリカでは「スーパーマン」の映画を見なくなって久しい。
バッドマンやスパイダーマンではその代役は難しい。
この強烈な「G」に’耐えて再浮上し飛んでいけるのは彼しかいない。

John Williamsの「スーパーマンのテーマ」を聴くと、この厳しい時代で勇気とエネルギーを与えてくれる。



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2009年02月09日

生きると言うことを考えさせられる。 ー心無礙ー

2月8日、日曜日

一昨日、日本の出張から戻った。
僕にとっては、少なくとも天井が高く、部屋が広く、ドアのサイズが大きいこちらの方が心地よい。
毎度、日本に行くたびに感じるが、近年では平均的な身体のサイズが大きくなってきたにもかかわらずの室内空間の余裕というものが感じられない。現代日本人に適合する建築の寸法を即刻考えるべきではないだろうか?
それにより、もう少し、自分自身の生活と人生に余裕のあるモノの見方が出来るようにはなりますまいか?どうも、手を伸ばせば全てが届くというような宇宙船サイズの空間ではスケールが大きい思考が出来そうにない。
日本の政治を見ればますますそう感じてしまう。
ガラパゴス。

さて、この3〜4ヶ月に急激にビジネスや生活に影響を及ぼしている世界経済停止状態(減速レベルではないな)。新聞やその他メディアの全てで、毎日、否、毎時間伝わってくると精神的にも閉塞感が募り、ストレスも高まってくる。さらには前向きな考え方すら、マイナスの方向に引っ張られてしまう。または、プラスに考えても、精神的に疲れが溜まるのか、時間が経ってくるといつの間にかマイナス思考に代わってしまっていることに気づく。

そこで妙案。
考えてみれば、マクロ的に、そして確かに厳しい現実と時代環境ではあるが、メデイアや回りを見過ぎると自分の現状に影響が強すぎる。
「我思う、故に我あり」ではないが、自分に人生に関係のある空間はまずは自分の回りのことである。家族を思う。住んでいるその回りの様子を思う。自分自身の仕事のみに集中する。自分の健康管理、体力向上を考える。
つまり、マクロ的ないかなる情報を得るよりも、まずは具体的な自分の回りに目配せをする。自分の出来る範囲で、最大限の努力をする。
過去・現在・未来とあっても、結局、自分で感知・認知できるる、生きているのは現在のこの一瞬「今」しかないのだと言うことに改めて認めることが最も重要だといいうことに気づく。

般若心経の ー 心無礙 ー である。

結局は周囲に惑わされず、自分の今に集中することである。

僕はこの言葉に救われるし、立ち向かう勇気が出てくる。






























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2009年01月18日

頑張りましょう(2)

1月17日、土曜日、

20日、オバマ新大統領の誕生。
ワシントンDCオフィスからの情報によると地域の人口がその前後のみ400万人なるとか。
想像が付かない数だが、それだけ全米が、世界が熱望するヒーローの誕生である。

さて、今日こそは上記の題目にて。
先日、遅くまで残っている社員を連れて晩飯に行った。
経験の少ない社員の「頑張ります」はまだ明確な結果を出し尽くしていないがその意気が伝わってくる雰囲気がある。
これに対して、経験豊富な中堅以上の社員が使う「頑張ります」はどうも納得がいかない。
何故だろうと、メシを食いながら考える。

長年、不思議に思っていた疑問が話をしているたびに自分の頭の中でクリアーになってきた。
「頑張りますと」は、新しい道へ乗り出すとき、まだ計画作成にも吟味するところが残っており、尚かつ、考えられる結果についても、場合によっては異なったものが出てくると言う、未知へのチャレンジへのアバウトな誓いとでも言おうか。

小生が中間管理職以上が会議の時に使う「頑張ります」と使う言葉に違和感を感じていたのは、ここの部分だと確信できた。
経験者は、今後出てくる答えをそれなりに想像できるはずで、厳しいのか、可能性があるのか、以外にも予想外の大きな収穫が望めるのかも「数値化」出来るはずである。

感じた違和感は、経験者が指導者が「頑張ります」と使う表現は何ら予測できていないと言うことに等しいと言うことではないか。
つまりは、分不相応な役職であることを裏付けているのである。

「頑張る」という言葉は便利で期待もするが、使う人の立場によってはひどく頼りなくもなる。

会話や会議の中でも、よく形容詞を羅列する人がいる。想像力・感性が豊かで、天才的なのかも知れないが、こちらの想像が追いついていかないことが多々ある。
小生のようなタイプには現実と数字を使うことが分かり易い。
但し、その元となる情報や数字の出所はしかりと捕まえた上での話ではあるが。
時に小生自身が形容詞を多く使うことがある。それは芸術面での話であるか或いは、人を煙に巻くときである。ちょっと人が悪いかな。


WI2.jpg
ミルウォーキーの美術館での晩餐会にて、







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