2012年05月12日

兄貴へ

5月10日、金曜日


ニューヨークは、景気回復が遅いというか、失業者もすでに職探しを諦めている者も多いようで、給与上昇はなく、皆で痛み分けをしていると言う雰囲気が伝わってくる。
この資本主義の中心地であるニューヨークでこの様なことは珍しいのではないか。
その一方で既に不動産価格は上昇に向かっていいるという。
僕が住んでいるニューヨークの対岸のニュージャージー州ではまだ不動産価格が下がっているというのに、川を隔てて反対側は、世界のどこからか投資目的の資金が流入しているとのこと。
この傾向は、ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、香港で顕著らしい。

そのような中で、価格が下落し、超低金利のいまであればこそマンションを購入しようと考えた次第。
ニューヨークは大都市と言っても、その都市圏の人口はアメリカ全体の5%程度(1500万人)しか住んでいない。
若いときにニューヨークに住み、家族ができると、郷里で会ったり、発展著しいアメリカ南東部にドンドンと人口が移動している。インターネットも発達しているので何ら支障なく、むしろ安い生活費と土地で「仕事と家族のバランスを考えた生活」をエンジョイするのが当然のスタイル。
(そう考えると、島根で東京並みの仕事と残業をしている兄貴はちょっと変な人種かも知れない?)

ブラジルには去年の8月に、当地の島根県人移住100周年記念式典に参加する機会もあったので、自分の事業の市場調査がてら行ってきた。
彼の地は人材派遣事業は恐ろしくてできるようなところではなく、雇用者責任が厳しく、かつ訴訟も絶えず、世界的大手の人材派遣会社ですら、人材派遣事業を大きく展開していないことがわかった。
日本では世界でも誠に珍妙キテレツな規制が多く、簡単には比較できないが、ドイツやフランスなどのようにヨーロッパの大陸にある国との関係が深いため、人材派遣に好意的ではないと言うのは確かだ。結果だけを言えば日本も同じ方向だ。

サンパウロには日本から進出している派遣会社があり、訪ねてみた。
名前はフジアルテ。大阪の南港に本社がある。日本では工員を中心とした派遣会社。
この会社はブラジルから日系ブラジル人を25年にわたり、斡旋派遣してきたとのこと。
派遣法の改悪で、このビジネスは厳しいのだそうだが、いまでは請負形式でやっているという。
そのブラジルの現地法人では派遣ではなく、人材紹介が中心。
他には社内で業務請負をして、パートを自社で使っていた。
このパートはかつて日本に住んでいたという日系ブラジル人達。
顔は全く日本人のそれではないが、親と共に日本で長年住んでいたため、日本の学校へ行き日本語しか話せない。
ブラジルに戻ってきたら、日本の学校卒は認められないそうで、いわゆる無学と判断されているとのこと。
ましてはポルトガル語を教わってはいないため、就職すらろくにできない。
このため、この会社にて日本語による請負作業(主にコンピューター入力)が数少ないまともな仕事のようだ。

何とも人生とはわからないものだ。

中国からの研修生は絶対に学ぼうとする強い意志を持ち、きっと「肉食系男子・女子」であろう。
なぜか日本にいる男子・そして日本にいたブラジル人達は、安全で幸せな国で暮らしたためか、どうも完璧な平和ボケで、優しくなってしまった「草食系」。
これでは結果は、すでに見えているように思えてならない。
ただし、この一世代前の日本人のような中国人研修生達から、逆に現代日本人は学ぶことが大いにあるだろうな。
これはきっと良いことに違いない。

ニューヨークのことも書いたが、アメリカでは地方分散が大いに進んでいる。
弁当でも、大手の流通企業相手に売るのではなくその地域のみの販売網を持って直接販売するのが本筋と思う。
日本は何でもかんでも大手流通が、日本の隅々まで運ぶ。
バカじゃないかと思う。
運べばそれだけコストも人も、エネルギーも使う。
食品加工品や農産物は、その地域で生産し、消費することが一番安く、新鮮なはずだが。
全てにおいて日本の構造転換をするときは既に来ている。

ニューヨークメトロポリタンに住んで、仕事をしているが、リーマンショック前から、どことなく大きな空間がぽっかりと空いていることに気づいている。
もとより、東京みたいな何でもありの欲張り大都市とは違った都市に変貌していくはずだ。
ここら辺は、結構この大都市は「時代の成り行き」に敏感であり、落ちぶれる前に違う形でよみがえってくると思う。

思うままに書いたところ。
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2012年05月10日

最近の通貨で思ったこと 2

5月9日、

前回の円とウォンの為替関係について自分なりに調べてみたが、あまり納得できる明確な答えはなかった。
ただし気になるシナリオとしてこの様なモノはどうだろう。

ウォン安が続いている今のうちに、輸出が大花場に増大し、利益は上がり、産業は興隆する。
また、海外の現地生産も増やしていく、国際戦略の体制を整える。
ウォンが安いため、日本などの外国からの旅行者が増えるので、外貨獲得しながら国内景気は良くなる。
また会社も個人も貯蓄資金量が増加する。
ある時期までウォン安を継続し、貯まったところでウォン高を容認。
そして、ウォン高を背景に、外国企業の買収を進める。
良いシナリオではなかろうか?

その逆の現象が、いま日本で起きているとしたらどうであろうか。。。

この様なことを考えていると仕事に支障が出そうだから、今日はこの辺で終わり。















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2012年05月02日

最近の通貨で思ったこと

2011年の9月以来、ブログを書いていないことがわかった。
イヤー、なんというか頭の中が整理されていないというか、このところ余裕がないというか、月日だけが過ぎた感じ。

さて、前置きはこれぐらいにして。
ふと疑問に思うことに、なぜ韓国のウォンは安いのか?
リーマンショック前の2007年。
明らかに韓国ウォンは日本円に対して、ウォン高に向かっていた。
ところが、リーマンショックを境に英国ポンドと全く同じ動きで、急激なウォン安となって久しい。
欧米の経済状況とは全く異なり、産業界が健全な韓国。昔の固定増場でもない現代において、なぜに韓国のウォンは円に対して、そして欧米の各通貨と同様に安いのか?
政府レベルの力の差なのかなとも思う。
どなたかわかる人がいましたらその背景を教えていただきたいのだが。

為替音痴の無駄口より。






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2011年09月24日

ブラジル・サンパウロ

前のブログがいつ書いたのかさえも忘れてしまうそうなほどに、お久しぶりです。

読んで頂いた方々が結構あったようで、おしかりの言葉ももらった次第。
ありがたい話です。
既に1ヶ月前になる8月、初めての南半球、ブラジルに行ってきました。
島根県人移住100年記念、ブラジル島根県人会設立55周年、県費留学精度40周年。
この記念式典に加えて、ブラジルでの人材ビジネスの可能性を調査。

先に人材ビジネスの方は、労働法、雇用慣例、人材ビジネスの商習慣を総合してあまり可能性があるところではないと判断。
基本的に文化、生活、社会のすべてにおいて、コンチネンタルヨーロッパ、ドイツやフランス、イタリアなどの、就労者保護色の強い体制である。この様なところでの人材ビジネスは成長発展しない。
改めて、アメリカという国の「実験的」、「機会平等」、「チャレンジを可能とする体制」が私のビジネスの発展を後押ししてくれていたことを再確認した。

さて、今から過去に向かって200年未満の、「身近に感じられる歴史」に大変に興味のある私はブラジル日系移民の歴史、そしてハワイ日系人社会の歴史は改めて新鮮だった。日本の田舎生まれの私にとって、小さい頃の環境がそれよりも前の時代と強く繋がっていたため、比較的移民生活の様子を想像しやすいからだ。
1868年の最初のハワイ移民、次に1888年のアメリカ西海岸への移民開始、そしてアメリカにおける排日運動で移民受け入れが禁止になるにしたがって、ブラジル移民の歴史が1908年に始まった。
移民先の最終地点。ナント日本から地球上の真反対にある南米である。

今のように飛行機ではなく、何ヶ月もかかり、その渡航中に多くの死傷者を出しながらたどり着いたところ。
そのような苦労をしてまでも、日本を離れなければならなかった理由があった事も想像してみたいものだ。

今日はここまで。












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2011年02月02日

買い物にて

2月2日、
今年の冬はとにかく雪が多い。
今日は積もった雪の上に、零度前後というのに氷雨。
路面はアイスバーンとなり、車で外に出ることは早々に諦めて在宅勤務。

さて、いやはや時間の経つのは早いモノ。
今年は少し多めにブログ更新と行きたいと新年に考えたモノの、1月は1回のみ。
やることが多すぎるのか、「あっ。これを書こう!」と思ったその後に、コンピューターに向かったときは忘れている。
ズーッと後になって思い出す。
これからは、思い立ったときにiPhoneから直接書き込んだ方がいいかな。
それにしてもiPhoneの日本語変換は大量に書くには向いていない。
英語ならば別だが、であれば次回から英語か。



さて、2010年の年末に買い物に行った。
デパートにて家族と一緒に館内案内板の前に立っていたときのこと。
初老の白人女性がにこやかに話しかけてきた。
Are you Korean?
- No.
Oh! Are you Chinese?
- No~.
Sorry.
- We are Japanese.
Oh! Really! How are you? .....

他愛もない挨拶と言葉のやり取りであったが、大きな変化を感じ、うちひしがれた。
「確か、1990年代はデパートでアジア人である僕を見て、まずはじめに聞かれたのは Are you Japanese?」であったと記憶している。

それが、いまでは韓国人、中国人について3番目。
というより、極東アジアで3番目といいのはビリ。
或いは既に忘れ去られているということ。
確かに彼女の質問も、Korean, Chineseと来た後にJapaneseとはでてこなかった。
存在が薄くなったな。
ここニューヨークの日常の中に感じる「ガラパゴス人種・日本人」

ハッキリ言って、日本人の外国在住は景気が良かったときの駐在員とその家族が大半を締めていたと言う事実を、景気の変化によってこの10年で減少し、リーマンショックで激減したことで、明らかに裏付けている。

それに対して韓国人、中国人の社会は「駐在員中心ではない」。
自らの意思で来ている。
会社から選ばれ多エリートのみが来ているわけでは決してない。
雑草のような「生きる」という強い精神で、来ている。
すべて自己責任で来ている。

良いとか悪いとかという問題ではなく。
これが実態。

日本人:「会社と共に去りぬ」
日本人社会:「駐在員社会と共に去りぬ」

あれは夢だったのか?
時間の中に埋没していく過程なのか。


































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2011年01月05日

2011年1月4日

社員の皆さん,

新年明けましておめでとうございます。

年の初めに、自分自身のためにも、今年のビジネスの参考になろうかと思い、古いファイルを開いてみました。
その中に、リーマンショック直後の、社員の皆さん宛に書いたレターを見つけました。

一読のほどをお願いします。

小生にとってリーマンショックの様な「ビジネス上での本当のショック」は人生で3回目でした。

第1ショック:1992年の日本のバブル崩壊。
この時は前職でヨーロッパのシステム子会社の責任者として出向しておりました。現地の日系企業から、会社の基幹システムを受託開発が会社の主な業務でありました。日本のバブル崩壊によって、すべての日系企業の新規システム開発案件が無くなり、その結果、進行中の案件以外に売上の見込みがなくなりました。僅か3ヶ月の間に、予定していた売上は無くなり、固定経費のみが残りました。仕事上で、人生で初めての大きな挫折を受けて、その後、しばらくして一ヶ月間ほど入院を余儀なくされ、日本に帰任したのちも1年間は体調不良の毎日でした。経営での未熟さもあり、自信喪失したことは未だに記憶しております。

第2ショック:ご存じの方も多いでしょうが、2001年9月11日の同時多発テロ。
ちょうど、サンディエゴオフィスを開設したばかりの頃です。当時はやっと黒字化してきたロサンゼルスオフィスを抱え、主たる稼ぎ頭であるニューヨークオフィスはどうなるのか、大変に心配しました。実のところ、ニューヨーク市内の米系人材派遣会社は軒並み潰れました。今NYでは名物として知られている人力自転車はその時のニュービジネスとして、倒産した人材派遣会社の社長が起こしたモノです。実のところ、インテレッセの業績は2001年度末までは順調に伸び、心配する必要が無いかの如くでしたが、2002年4月以降は、顧客である日系企業現地法人の日本本社から指示で、NY事務所の縮小、または閉鎖により派遣売上が対前年比で半減し、その傾向は2004年頃まで続きました。紹介も2002年5月以降、不安定な動きで、明らかに半減如何に落ち込んでしまいました。それは2003年度終わり(=2004年3月)まで続き、結局は立ち直るまでに2年〜3年ほどかかってしまいました。この様な苦しい中で、2003年の6月にアトランタオフィスを開設し、苦しみながらも2004年の大きな成長へと繋がって行きました。そして、2004年。以前から成約のあった中西部においてシンシナティーオフィスを開設し、成長していきました。そして、2005年に入り現在の全米拠点網へと繋がって行きました。

第3ショック:2008年9月15日のリーマンショック。
今回は全世界的に逃げ道が無く、全く先が読めませんでした。しかし、上記の2度の困難を生き延びてきましたので、今までに創り上げてきた「財産」(人財、ネットワーク、会社バリュー、 システム などなど)を再認識する事を考えました。事業規模も以前とは比べものにならないほど大きく、広範囲になっています。時間のかかる判断や過ちは命取りになります。そのため、「生き延びるため」に考えられうるあらゆる事を実行してきました。今でも「改善の余地はないか」とあらるゆ点で見直しが続く毎日です。第2ショックのといでもその復活に2〜3年かかりました。現在の状態はリーマンショックからまだ2年と3ヶ月です。現状からして後一年は厳しいでしょう。
しかし、今回のショックでは多くを学びました。それは添付にもある通り、「自分自身、会社そのモノを財産として考えて、それを元にして出来る事を考える」ことです。
インテレッセは、明らかに他の日系人材会社と比べて有利なリソースを多く持っています。これを有効に活用し、発展していくことが可能と思います。
新しく初めてた、コールセンター、キャピタル、インテレッセクラブも、過去のリソースを活用し、その延長線上に発展させていく事業です。

それには、我々自らが成長していく、資産を活用し、発展させていく事に他ならないと、確信しています。

新年に当たり、皆さんと共有したい思いを送ります。


Manhattan 2011.jpg
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2010年11月11日

GWBの濃霧

11月10日、水曜日。


秋に入って、出張がかさなっている。
デトロイト、日本、ナッシュビル、シカゴ、アトランタ、ワシントンDC
日本を除き、飛行機で2時間30分以内のところが多いが、緯度も異なるために、それぞれの地域での秋が満喫できた。

既に工業化の進んで、あたかも斜陽化しているかのようなアメリカの北部地域に対して、10月の日本・米国南東部会でアトランタFRBのPreident & C.E.OのMr. Lockhart が報告した通り、近年の人口流入の急増する南東部地区は全体的に明るさがある。

ふと想像してみた。

南東部の発展を支えているのは「冷房技術の著しい進歩」によるものでああろうと。

今、南東部が脚光を浴び人口も増加しているのは、生活の価値観が変化してきていることが大きい。
単に仕事を売るのではなく、生活もエンジョイする。

ビジネスでは労働組合活動が盛んでない、賃金が安い、州税が低い、教育レベルが向上してきた、などなど様々な理由が南東部の発展に寄与している事は確かだが、ちょっと100年前までは、冷房技術がないために、その気候を利用したプランテーション農業が中心でしかなかった。

これが冷房技術があれば、オフィスでの仕事ができ、第2次、第3次産業も発展していける。
暖房技術は冷房技術に比べて、前時代までの技術でも通用する訳で、単純な分だけ北部が先に発展したのだろう。
やっぱり、人間の生活では暖かいところがいい。
寒いところはスキーやスケートでたまに行けばいい?のかな?

ここに来て南東部の利点が、その地域の産業発展に大きく寄与している事を痛感する。

いずれにしろ、南東部の発展は今後も続くだろう。


さて、下記の写真。
おもしろい自然現象を自宅から撮影できた。

おそらく、夜間の放射冷却で陸地の空気は既に冷やされていたのだろうが、ハドソン川上の湿気を含んだ比較的暖かい空気が濃霧となったところに、河口からの風でGeorge Washington Bridge付近で盛り上がり、橋を覆い被さった格好だ。

この様な光景はサンフランシスコのGolden Gate Bridgeで見たことがある。

誠に雄大だ


Fog over GWB.jpg





posted by fujihara at 08:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

キンモクセイ

10月12日、火曜日、ニューヨークにて

週末に日本より戻り、すっかり秋の天気となったニューヨーク近郊。
紅葉も徐々に北の方から忍び寄ってくるのを上空からも確認できた。
今週中に最低気温は10℃を下回るとのこと。やっと上着を着てちょうど良い気温になってきた。

ところで、先週、先々週と日本にいて、何ともキンモクセイの香りが街中に充満していたのが嬉しかった。
おそらく一般的に日本人はキンモクセイが好きなのではないかな?
良い香りだし、街の散策をすると、この頃の特有の「蜘蛛の巣」が至る所にできていた。
味覚の秋、収穫の秋、歌では寂しいモノが多いように思うが、実際は、実りの秋。

キンモクセイ.JPG


ニューヨークに戻ってもキンモクセイの香りだけは脳裏に強く残っている。

posted by fujihara at 03:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

ネアンデルタール人

9月23日、木曜日(日本では秋分の日)

ニューヨークにHQ ビデオというレンタルビデオ屋がある。
おそらくそこができたばかりの時から世話になっている。

日本のテレビ番組や、映画が、かつてはビデオ、今ではDVDに録画され、一枚当たり4ドルで購入(複数一括購入するともっと安い)できる。もちろんレンタルも可能だが最近は購入価格とレンタル料金の差が殆どなくなってきている。

最近はまっているのが、NHKスペシャルの番組。
日本にいたら、おそらく、放映スケジュールが毎週か、或いは季節的に離れていたりしているだろうが、一括購入シリーズではセットで売っているので、連続してみることができる。
以前、購入したモノの中では「恐竜VSほ乳類」などは、知人の小学生の息子がお気に入りでいつ帰ってくるかわからない。

先日、大量に買い込んだ。
このところ見たモノでは
「ポアンカレ予想」、「リーマン予想」など近代数学歴史モノ。
「オイラーの定理」で有名な数学者オイラーが複素数を使った数式が「πの二乗/6」と同じになるなど、誰が想像できたのだろうか?
凄い!
20世紀では位相幾何学が流行っていたなどと言うのは、大学で位相幾何学を専攻した自分ですら知らなかった(と言うより、鉛筆と紙以外はいらない専攻学科であったため、怠けられると思ったので専攻したのだが)「宇宙のヒモ」の話しなど、日常からかけ離れている話題が新鮮だった。

大量買い込みしたシリーズの中に、「地球大進化」という7回シリーズがあった。
山崎努が番組の進行役。話し方がおもしろい。

さて、地球ができて46億年。
いつかは滅びる地球......とは言っても我々の人生はそのような時間の中では本当に「刹那」。
シリーズの第6話に、人類の酒類がホモサピエンス以外にも多数あったと知った。
以前から教科書では知っていた「ネアンデルタール人」のGC映像を見て驚いた!

俺じゃないか!?

山崎努自身も、かぶりモノで出場した。

俺じゃないか?

頭髪の多さ、眉部分の出っ張りと両眼のへこみ、角張った輪郭。

俺じゃないか!?

絶滅した人類の一つでもあるにもかかわらず、俺はここにいる?

そう言えばロシア人達からは、いつも「カザフスタン人」と言われていたことを思い出す。

行ってみようかな?















posted by fujihara at 07:05| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

天動説と地動説

9月16日、木曜日

今日は日本のあるが抱く職員の方が、僕のブログを見て、わざわざ訪問された。
就労者向けの社会人教育関係が専門とのこと。
今の対象となる授業内容に行き詰まりを感じておられるとのこと。
辛口の小生としては、大学の寿魚嘔吐行っても殆どが「ケイ子とマナブ」のような、実用性に乏しいモノではないかと推測した。

20年近く前、ドイツでの大学授業も、実社会に役立ちにくい内容があり、産業界と学術界での意思疎通が書くなっているとの話しを聞いたことがある。
その代表的な例として、コンピューター関連の授業と記憶している。
技術革新が著しく、数年前に学校側が大きな設備投資したコンピュータが急激な時代の流れの中で、実社会の現状と乖離した。
学校側では、出資金額や減価償却期間よりも極めて早く、その価値が薄れてくるコンピュータではあるモノの、使わざるを得ないという現実があった。

日本。
誠にその中にいるだけで言えば誠に平和な社会である。
「幸福」を追求し、そしてそれを実現させた国である。
言い換えれば世界の中で「過去の国」となってしまったのではないかと思わせられる節が多分にある。
今までガラパゴスという言葉を使っていたが、もっと的確な言葉がないものかと思っていたところで、この表現を思いついた。

天動説と地動説

弊社の会社案内には「コペルニクス的発想の転換」というのを用いているが、誠に身近なところで既に感じていた自分の感性をほめてやりたい。

日本を除く多くの世界が、回りの世界各国を見ながら対応しうているのを地動説とすると、ガラパゴス諸島のようにその土地だけで完結してしまう様な場合を天動説と言えるだろう。

そうすると今の日本は、誠に相対的な状態である幸福と平和を得てしまった「天動説国家」。

昔、京都に本社のある米国法人の主席駐在員が行っていたことを思いだした。
「お日様の方が京都本社の回りを回っている」

今はそれが日本全体に蔓延してしまったのか?

社会人向け教育の変革を考えていると言う、本日の訪問者も、重箱の隅をつつくことしか無くなってしまっている現状を憂いての事だったのだろう。


Japan-USMW.jpg

第42回 日本・米国中西部会(開催地:デトロイト)にて日本国名誉総領事(Mr. Robert H. Reynolds)と





















posted by fujihara at 05:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする